大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和33年(行)17号 判決 1960年3月07日

原告 樋口市右衛門

被告 国

訴訟代理人 藤井俊彦 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は本位的請求の請旨として「被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地につき、昭和三三年二月一八日土地収用法施行法第六条による買受権行使を原因とする所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、予備的請求の趣旨として「被告は原告に対し、前記土地につき、前同日、戦時補償特別措置法第六〇条による買受申告を原因とする所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、各請求の原因として次のように述べた。

「一、別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という)は、もと原告の所有であつたが、昭和一八年二月頃、原告は被告(当時の海軍省)から、飛行場用地として使用するために本件土地を譲り受けたい旨の申入を受けた。この申込は、原告がもしこれに応じない場合には、旧土地収用法(明治三三年法律第二九号―以下単に旧土地収用法という)に基つく収用手続をなすことを前提としたものであつたし、また、当時強大な勢力を有した軍部からの申込で憲兵立会の強硬な交渉であつたから原告はたとえ被告の申込を拒絶したところで、同法に基ついて収用されるに至ることは必至と考えしかたなく右申込を承諾し、同年二月二一日本件土地を被告に売り渡した。そしてその頃売買代金を受け取り、同年六月五日その旨所有権移転登記手続をした。

二、その後、被告が本件土地を飛行場用地として使用しないうちに終戦となり、被告にとつて本件土地はもはや不要になつたのに、被告は引き続き本件土地を所有していた。そこで原告は被告に対し、昭和三三年二月一八日に被告に到達した書面をもつて、土地収用法施行法第六条の規定により補償金相当額で本件土地を買い受ける旨の意思表示をした。

三、右の規定は、旧土地収用法に定められた公益事業のために土地を提供した場合は、それが任意売買によるものであると、同法の定める収用手続により収用されたものであるとにかゝわりなく、等しく適用されると解すべきである。そもそも旧土地収用法および現行土地収用法(以下この両法をあわせていうときには単に土地収用法という)さらには土地収用法施行法にいわゆる買受権の規定が設けられた趣旨は、土地収用法に定められた公益事業のために土地を提供した旧所有者を保護しようというにある。そうすると公益の用に供されることを認識しながらあくまで土地を提供することを拒んだ結果法の収用手続により土地を収用された者がこの買受権によつて保護される以上、公益事業に積極的に協力して進んで土地を提供した者は一そう保護されてよい筋合いである。土地収用法の運用の実情をみても、型どおりに同法が適用されて土地が収用される事例は極めて稀有の事例に属し、たいていの場合は任意売買の形によつて、実質的には公益事業のために土地が提供されているのである。このように考えると、土地収用法上の買受権をあくまでも土地収用法の収用手続によつて土地を収用された場合に限つて認めようというのは、法の根本原則である衝平の要求に著るしく背馳するものといわなければならない。従来、この買受権については、土地収用法にいわゆる土地細目があつたかどうかに一線を劃し、細目公示がなされる以前に協議が成立した場合は私法上の売買であるとして買受権を認めず、細目公示がなされた後の協議による買上げの場合には収用にあたるとして買受権を認めようとする説があるが、これとてもなお大局的な検討を怠つたものであつて、誤つた理論である。さらに一歩を進め、細目公示の有無を問わずおよそ土地収用法に定められた公益事業のために土地が提供されたものであれば、提供に至る過程が同法の収用手続によつたものであると、任意売買によつたものであるとにかゝわらず、買受権に関する規定が適用されると解するべきであるが、なお原告の右のような解釈は、被告自身実際に行なつているところである。すなわち、国税庁長官から国税局長宛昭和二七年二月六日の「租税特別措置法(所謂税および再評価税関係)の取扱方について」と題する通達は、同法第一四条の取扱について「土地等につき現実に収用規定の発動のない場合であつても、当該土地等の買収を行なう事業が明らかに土地収用法第三条各号の一に掲げる事業に該当するときは、収用規定が発動する場合には収用さるべき土地等の買収等に限り法第一四条第一項の規定を適用法することに取扱うこと。」と指示している。この事例は徴税方法に関するものではあるがその理論において原告の主張するところと全く同じであつて、その正当性を裏付けるものである。

四、そうすると、本件土地は海軍省の飛行場用地として使用されることで被告に売り渡されたもので、これは旧土地収用法第二条第一号の「国防その他軍事に関する事業」に該当し、しかも原告において売渡を拒めば当然同法により収用されたであろうと考えられるから、原告は本件土地につき、土地収用法施行法第六条の規定により買受権を有するわけである。したがつて原告の被告に対する前記買受権行使の意思表示により、本件土地の所有権は被告から原告に移転し、被告は原告に対し、本件土地につき、右買受権判決を原因とする所有権移転登記手続をなす義務がある。

五、かりに、土地収用法施行法第六条の規定による買受権行使を前提とする原告の右の主張が理由がないとしても、前記原告の被告に対する意思表示は、戦時補償特別措置法第六〇条所定の買受の申告としての効力がある。そして本件土地は戦後米軍の駐留するところとなり、右意思表示をなす頃まで駐留軍が使用していてこれは同法施行規則第二条第二項にいう一般申告期限内に申告書を提出できない事情にあたるから、駐留軍が本件土地から撤退して直ちになした原告の申告は適法期間内になされたものである。そうすると原告の右申告によつて本件土地の所有権は被告から原告に移転し、被告は原告に対し、本件土地につき右買受申告を原因とする所有権移転登記手続をなす義務がある。

六、よつて原告は第一次的に本位的請求の趣旨のとおりの、第二次的に予備的請求の趣旨のとおり判決を求める。」

被告は主文と同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。

「一、原告主張事実のうち、本件土地はもと原告の所有であつたこと、被告が飛行場用地として使用するために本件土地を昭和一八年二月二一日に原告から買い受けてその頃売買代金の授受を終り、同年六月五日所有権移転登記手続を了したこと、本件土地はその後も引き続き被告の所有であつたこと、および被告が、原告主張の日にその主張のような内容の書面を受け取つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二、原告から被告への本件土地所有権の移転は、私法上の売買契約に基づくもので、旧土地収用法の収用手続が開始された事実はないのであるから、土地収用法施行法第六条による買受権が発生する余地はない。土地収用法(ないしは同法施行法)が買受権の規定を設けた趣旨が、旧所有者の保護にあることはいうまでもないが、この買受権は条理上当然に認められるべき権利とは考えられない。土地収用法上の特別の規定をまつてはじめて生ずる権利である。所有権の帰属を不安定にするような制度は原則として、認めるべきではないのであつて、民法上の買戻権についても法は厳重な要件を定めており、強行法規として、この要件に合致しないものはすべて認めない態度を堅持している。このことは土地収用法上の買受権についても同様であり、買受権発生の要件は法定されており、みだりに拡張して法の定める場合以外に買受権を認めることは許されないというべきである。特に、土地収用法上の買受権は、これについての登記も要しないから、買受権を法の定める以上に広く認めるとすれば、所有権の帰属の不安定をきたすこと甚しく、第三者の法律的地位を害するおそれも大きい。したがつて買受権の発生についての原告の主張は失当である。なお、原告は、資産再評価に関する国税庁長官の通達をもつて、原告の見解の正当性に裏付けるものというが、右通達はその後租税特別措置法の改正により、法文に同旨の規定がおかれたことによつて(租税特別措置法(昭和三三年法律第二六号)第三一条第二号)現在その効力を失つている。結局右の通達も立法の不備を一時的に是正した取扱い通達にすぎず、この通達に沿う取扱いが一時行なわれたからといつて、国が現実に収用手続の発動されない場合に、法に規定する以上に旧所有者を有利に扱う旨宣明したことにはならない。しかも右の通達は徴税の面での取扱いを示したにすぎず、これをもつて土地収用法上の買受権の発生を広く認めるべきものとの結論を導き出す根拠とすることは許されない。

三、原告の予備的請求原因の主張も失当である。

(一) 戦時補償特別措置法第六〇条によつて、国が旧所有者に対して譲渡の義務を有するのは、土地の対価の請求権について戦時補償特別税が課せられたときに限るのであり、これは同法施行の際(昭和二一年一〇月三〇日)、現に戦時補償請求権を有し、または同法施行前に戦時補償請求権について決済を受けた者について課せられ、さらにこの戦時補償請求権とは政府に対する請求権(たゞし政府の通常の業務に関して生じた請求権を除く)で、(イ)弁済期が昭和二〇年八月一五日以前のものでかつ同日以前に弁済がなかつたもの、(ロ)弁済期が昭和二〇年八月一五日以後のものであつて同日以前に生じた損害または給付によるものというのであるから、昭和一八年二月二一日の売買により被告に所有権が移転し、当時すでに売買代金の授受を終つた本件土地については戦時補償特別措置法第六〇条を適用する余地は全くない。

(二) かりに同法同条の適用があるとしても原告の申告はその期限を徒過している。原告主張のような事情(駐留軍が本件土地を使用していた)は、同法施行法第二六条第一項にいう、申告書を提出できない状況にあたらないことは明らかである。原告の申告は戦時補償特別措置法第六〇条第六項の所定期間を経過した後になされたものであり効力がない。

四、以上のように、原告の主張はいずれも失当で、原告に本件土地の所有権が移転するいわれはないから原告の本位的ならびに予備的請求はいずれも理由がない。」

理由

一、本件土地はもと原告の所有であつたが、被告は昭和一八年二月頃原告に対して、本件土地を飛行場用地として使用するために譲り受けたい旨申し込み、原告はこれを承諾して同年二月二一日本件土地を被告に売り渡し、その頃売買代金の授受も終つて、同年六月五日、所有権移転登記手続をなしたこと(したがつて本件土地については旧土地収用法による収用手続は一切なされなかつたこと)、その後被告が本件土地を飛行場用地として使用しないうちに終戦となつたが被告が引き続き本件土地を所有していたこと原告は被告に対し昭和三三年二月一八日に被告に到達した書面をもつて、土地収用法施行法第六条の規定により補償金相当額で本件土地を買い受ける旨の意思表示をしたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、本位的請求について。

原告は上地収用法施行法第六条の規定は、旧土地収用法に定められた公益事業のために土地を提供した場合であれば、それが任意売買によるものであると、同法の収用手続により収用されたものであるとにかゝわりなく、等しく適用されるべきであると主張するので考える。

土地収用の制度は起業者が公益上の必要のために、土地所有者の意思いかんにかゝわらず、強制的に土地を取得することを可能ならしめる制度である。したがつて、もしその土地の全部または一部が、その公益の目的のために不用となつたならば、収用の必要は実質的に失われたことに帰するから、旧所有者が土地を収用されるについては、相当の補償金を得ているものゝやはりその土地に関して補償金をもつてはおゝわれない特別の価値感情(主観的な価値感情)をもつていることを考慮して、その場合には旧所有者に対し相当の対価をもつてその所有権を回復できる手段を与えるのが事理に適するゆえんである。このような理由から設けられたのが土地収用法上の買受権であると考えられる。この買受権は、根本においては、収用は公共の福祉のために必要やむをえない限度に止まらなければならないとする原則に基つくもので、その意味で収用の本質に由来するものであるといつてよい。しかしながらこのことは、買受権の制度の立法理由が、右のような収用の本質に根拠を置くということを意味するに止まるのであつて、それが法律の規定をまたずに、当然に認められるべき権利であるということまでも意味するものでは決してない。買受権の制度が旧所有者保護のために設けられたものであるということから直ちに、この制度が法律の規定をもたない当然の条理であると結論することは論理の飛躍である。収用の必要が実質的に失われた場合、旧所有者に土地の所有権を回復することをえる権利を認めるかどうか、また認めるとしてどのような法律的要件、効果のもとにこれを認めるかは、立法者の裁量によつて決せられるべきもので、土地収用法による買受権は法律の特別の規定によつてはじめて認められるものであるといわなければならない。このように土地収用法上の買受権の制度が収用の本質に由来するものであり、またこれは条理上当然に認められるものではなく、法律の特別の規定によつてはじめて認められた制度であると解する以上、収用とは全く本質を異にする私法上の売買の場合は、たとえその土地が公益事業のために提供されたのであつても、買受権の規定を類推適用することはできないといわなければならない。従来の判例や学説が、この点について、土地収用法上のいわゆる土地細目の公告の有無によつて一線を劃し、土地細目の公告以前になされた協議(協議といつても土地収用法上の協議ではなく、売買のための交渉である)による場合には買受権を認めず、土地細目の公告後になされた協議(土地収用法の協議である)による買上げの場合には買受権を認めるとしたのは前者が私法上の売買であるに反し、後者がなお公法上の収用と解されるからにほかならない。公益事業のためになされた土地の提供が、公法上の収用によるものであるが、私法上の売買によるものであるかによつて買受権の有無が別れることは、前説示のような買受権の性格からいつてやむをえないところである。この限界を超えて、さらに買受権の認められる場合を拡張しようとする原告の主張は買受権の本質を誤解するものであり、また旧所有者の利益を保護する必要があるという一面のみを強調し、第三者の利益をぎせいにして顧みないもので(旧土地収用法ないし土地収用法施行法による買受権は買受けに関してはなんの登記もなく第三者に対抗できる(旧土地収用法第六六条第二項、土地収用法施行法第六条なお現行土地収用法第一〇六条第四項も、第三者に対する対抗要件としては収用の登記を要求しているにすぎない。)のであるから、もしも原告主張のように買受権の発生要件を拡張して解するときは、第三者に不測の損害を与える危険は非常に大きいものがある。)かえつて法の根本原則たる衡平の要求にもとるものといわざるをえない。なお原告は、資産再評価税に関する国税局長官の通達をあげて原告の主張の正当性を裏付けるものであるというけれども、右通達は徴税面における取扱いを示したものにすぎず、前説示のような買受権の性格から考えて、この趣旨を買受権についての解釈へ応用することの誤りであることは明らかである。

以上要するに、土地収用法施行法第六条に規定された買受権はやはり旧土地収用法の収用手続が実施された場合に限つて認められるものであり、たまたま土地収用法に定められた公益事業のために土地の売買が行われたとしても、土地収用法の規定に発動がない場合には右買受権は生じないと解するのが相当である。

本件においては旧土地収用法による土地細目の公告はもとより事業の認定さえも行なわず、収用手続は全くなされていないのであるから、原告は買受権を有しないことゝなるのもまたしかたがない。本件土地の所有権が買受権の行使により原告に移転したことを前提とする原告の本位的請求は失当である。

三、予備的請求について

次に原告は予備的請求の原因として、前示原告の被告に対する意思表示は、戦時補償特別措置法第六〇条による買受の申告として有効であり、これにより本件土地の所有権は原告に移転したから被告は原告に対し右買受申告を原因とする所有権移転登記手続をなす義務があると主張するので考える。

戦時補償特別措置法第六〇条によつて、国が旧所有者に対し土地を譲渡しなければならないのは、その土地の対価の請求権について戦時補償特別税が課せられたときであり(同法第一項)、この戦時補償特別税は、同法施行の際(昭和二一年一〇月三〇日)現に戦時補償請求権を有し、または同法施行前に戦時補償請求権について決済を受けた者に対して課せられ(同法第二条)、またこの戦時補償請求権とは政府に対する請求権(たゞし政府の通常の業務に関して生じた請求権を除く)で(イ)弁済期が昭和二〇年八月一五日以前のもので、かつ同日以前に弁済のなかつたもの、(ロ)弁済期が同日以後のもので、同日以前に生じた損害または給付によるものをいう(同法第一条)のである。本件においては昭和一八年二月二一日売買によつて本件土地の所有権が被告に移転し、その頃売買代金の授受を終つたのであるから土地の対価の請求権について戦時補償特別税が課せられなかつたことは明らかである。そうすると本件土地の所有権が戦時補償特別措置法第六〇条による買受申告により原告に移転したことを前提とする原告の予備的請求も失当である。

四、以上のように、原告の本位的請求および予備的請求はいずれも主張自体理由がないから原告の本訴請求を棄却することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 中村三郎 上谷清)

(別紙目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例